2018年4月30日月曜日


ベーシックインカム
 

ベーシックインカムとは、政府がすべての国民に生活維持に必要なお金を一律に支給する制度ことである。すでにスウェーデンなど数か国で実験的に導入されているようである。これは政府が行う究極の社会保障制度である。この制度が発表されてから賛否両論で多くの議論がある。ベーシックインカムの導入に反対する者の理由は、勤労欲をなくすとか、生産性は低下する、という議論である。当然、この制度の導入のためには、将来的に維持することができなくなると思われる年金制度や生活保護制度を廃止し、その原資に充てることになるので議論は必要である。

やはりこの制度を導入するには一定の社会的条件があるということである。ベーシックインカム導入の条件はAIによる生産性向上により、人間の労働を必要とされなくなって、多くの失業者を出しているとき。人間の労働を必要としなくても企業は十分に儲かっている状況ならば格差社会の解消と、富の再配分という意味で、この制度の導入は可能である。

しかし、基本的にベーシックインカムは生産性が高くて国民の労働を必要としなくなった社会でこそ必要な考え方であって、そのような社会が出現するのかさえ不明である。現在の日本社会において行う政策ではない。しかし少なくても、労働とは何かを考えるための材料にはなる。

2018年3月25日日曜日


知識労働の生産性について            
 


 すでに日本の場合、知識を伴わない労働の多くは海外へ移転されてしまった。日本における労働は知識を前提とした労働が主流で、少子化に伴う労働力の減少は、事業の縮小、廃止に追い込まれている状況である。少子化により18歳人口は、今後十数年のうちにさらに20%減少し、労働力不足はより深刻になると予想される。OECDが以前から指摘しているように、先進国最低の労働生産性は現在も変わらない。


 悲観的な指摘ばかりではない。未曽有の少子化ゆえに思い切った働き方の改革をしなければならない状況にあるため、日本が得意とするAI技術やロボットを利用したイノベーションを実現する可能性が高い。弱みを強みに転換することが可能であるというものである。


 知識労働の担い手である知識労働者は、自らの仕事に対して積極的で主体的に仕事を行う。いわばプロフェッショナルとして仕事をこなそうとする。過去の労使関係とは異なり、自分の専門分野を持っているので、自分の専門以外の仕事は行わない。会社の指令で、専門分野以外の仕事を命じられたら、そのような職場は自分の居場所では無いと考えるであろう。知識労働者相手に、労働の生産性を上げようとするならば、彼らに適した仕事を与えることである。それができない職場は労働者を確保することが困難になる。単にモチベーションを上げようとしても、それぞれの労働者に適合した仕事を与えられなければ無駄な努力に終わってしまう。


製造業からの脱却                  

 

P.F.ドラッカーは2002年に上梓した『ネクスト・ソサエティ』において「あらゆる経済大国の中で製造業従事者の割合が最低の国がアメリカである。イギリスがこれに続く。日本とドイツではまだ四分の1近くが製造業労働者である。」と述べている。「日本が競争力を維持していくには2010年までに、これが八分の1ないし十分の1になっていなければならない。」「日本はまた、これまでの教育システムを、今新たに生まれつつある雇用機会、新技術、新市場にいかに適合させていくかという難問にも直面している。」と、日本のイノベーションの必要性について述べている。2018年の現在日本の製造業の対GDP比は20%弱といったところであるが、これには日本の製造業崇拝から脱却できないことと関係している。確かに製造業は、日本の近代化以降、この国を先進国の地位まで引き上げることに大きく貢献いたし、戦後の高度経済成長においても主役の座を占めていた。また、製造業は他部門への波及効果も大きい産業である。残さなければならない製造業はしっかりと残し、途上国と競合する部門は海外へ移転を進め、そのうえで日本経済の主役の座を新たな産業に明け渡さなければならない。

さらに日本のホワイトカラーの労働生産性はOECD加盟先進国中、最下位である。こうしたことを考え併せると今、日本が何をしなければならないのかが見えてくる。新規産業の進展にあわせた労働の移動や、雇用の変化について真剣に検討しなければならない。労働の移動については、製造業従事者を新規産業へ移動させればよいという単純なものでないことは明白である。製造業の従事者が、必ずしも新規産業に適合するとは限らないからである。

 
知識社会における働き方 
 

 人間の労働に対する考え方は、時代とともに変化し続けている。高度経済成長期、日本人の平均年間労働時間は2400時間余りで、休暇も少なく仕事は労働集約的で事故も多発していた。しかし、働く人々は今よりも希望に満ちていたのは確かである。多く働けば多くの報酬を手に入れることができて、豊かさを実感した。ドラッカーも称賛したように、経営者は労働者を会社の経営資源として大切に育ててきた。

近年グローバル化の影響で、労働力をコストと見立て、削減する方向にある。労働者を大切にしてきた日本の経営文化を捨てる必要はない。これから始まる知識社会で働く人々は、その成果を強く求められ高い労働生産性と質が要求される。次の時代の働き方を決めるのは私たちであり、私たちが納得できる働きやすい社会を構築しなければならない。さもないと知識社会は悲惨な社会になってしまう。

理想的な労働環境は、短時間で効率よく働き、多くの報酬を得る希望に満ちた働き方であろう。多くの余暇と多くの報酬を得ることは消費の拡大につながり、社会にとっても決して損にはならない。余暇はボランティアに費やす、と考える人も多いはずで健全なNPO組織を育てるためにも必要なことである。

2013年8月30日金曜日

アジアはアメリカの下請け

 2011年以降、日本の貿易収支は赤字になっている。しかし、国際収支そのものは以前と変わらず黒字となっている。その理由は日本の資本投資や特許料の収入が12兆円もあるかである。つまり日本は日本の経済活動による収入だけでなく、他国の経済活動からも大きな利益を得ることができるのである。

 自由放任を前提とするグローバル経済では結局、強いものが勝つのである。アメリカのアップル社製iPhoneのスマートフォンはアジアで作られている。アップルは工場を持っていないので日本、韓国、台湾、で部品が製造され、中国で組み立てられる。しかし一番大きな利益を上げるのはアメリカである。アジアの労働者が製造したスマートフォンでアメリカが大きな利益を受け取るのである。

 同様に日本でも、アジア諸国で作られた日本製品が世界中に輸出され、日本に大きな利益をもたらしている。さながら、日本はアメリカの一次下請けのようである。その意味でアジア諸国は二次下請けといったところであろう。かつてヨーロッパ、アメリカや日本などの先進国は煙突が林立し、世界の工場と言われてきた。しかし、現在では世界の工場と言われる途上国から、工場をもたない先進国が大きな利益を吸い上げているように見える。



2013年7月9日火曜日

グローバル化と人口問題

     ウォールストリートジャーナル誌はアベノミクスに足りないものとして「移民の受け入れ」を指摘した。この問題は、今始めて語られたものでは無く、以前からP.Fドラッカーは著書「 ネクスト・ソサエティー」の中で、日本は移民の受け入れについて考えなければならないときが来る、と述べている。私も講演会などで、たびたびこのドラッカーの指摘した移民について話を紹介してきましたが、これに肯定的な意見はほとんどありませんでした。たとえ人口の減少が起こっても、豊かな日本を維持すべきという意見がほとんどでした。

   さて、それではこのまま減少が続き、今世紀末には今の半分の人口になった時、果たして今のような豊かな社会を維持することが可能だと考えますか。空き家ばかりで、すべてが半分になった時、インフラの維持さえ出来ず荒廃した社会が出来上がることになります。その時になって移民の受け入れをしても優秀な人材は得られない。今ならばまだ、世界中から有能な人々が来てくれる。もっと想像力を働かして次の時代に備えるために議論を始めましょう。

2013年7月2日火曜日

農村とグローバル化

    グローバルな社会は、自分たちで築き上げた社会というよりも、まるで誰からか与えられた社会のように思える。農業の未来が、農家による生業、家業的な個人農業ではなく、グローバル資本による大規模な産業としての農業にとって変わることは容易に想像がつく。より大量の農産物を安価に生産するにはそれしか方法がないからだ。そして余った農産品は海外へと輸出され、グローバルな企業は利益を得る。

    グローバル化によって長い歴史を持つ日本の農業は根底から崩され変わってしまう。それは、必ずしも日本の農村が求めてきたでものでもなければ、農村社会の責任でもなく、時代の流れなのだろう。数千年の歴史によって、ゆっくり構築されてきた日本の農村社会が悪いわけがないのに。

    私たちが求める本当に豊かな社会と、予想されるグローバルな社会の乖離は大きく、すべては産業革命以後起こった富を求めることに貪欲で、急ぎすぎる社会に原因がある。私たちはもう一度、未来が私たちの手によって造られることを確認しなければならない。